理想の庭

エッセイ

理想の庭がある。 金木犀、百日紅、椿に白木蓮、南天の植った庭である。 足元にリュウノヒゲでもあるとなお良い。

東京は意外と昔ながらの一軒家が多く、ときどき散歩がてら、綺麗に庭造りをしてる家をのぞいて見たりする。一般住宅で以外でも、中野にある林芙美子記念館や代官山の朝倉邸は理想的だ。

齢四十が目前となった今、ひと昔前なら家の一件くらい持っていて当たり前であったと思う。 私ときたら伴侶も持たず眺めと立地とセキュリティだけが自慢のウサギ小屋みたいな借家住まいときている。将来を思えば小さめのマンション購入を考えるのが賢明なのだろうが、一向にその気も起きず、お財布事情も追いつかない。にっちもさっちもである。

なによりも、20年30年と同じ場所に暮らし続けるなんて想像もつかない。 引っ越したい時に引っ越せない。離れたい時に離れられない。 その状況が何より恐ろしいと思ってしまう。浮き草精神なのだ、根本が。

それでも、ことあるごとに庭を想像する。 金木犀の香りを愉しみ、百日紅の木肌を撫で、椿を愛で、白木蓮を見上げ寒よ戻るなと祈り、南天に積もる雪を眺めたい。

幸いなことに好きな小説の中に理想の庭が存在するので、庭欲が強くなったら本を開くようにしている。しかしここのところ、人生の折り返し地点が目の前にきたのに実物のない世界に没入している日々もいかがなものかと考える。

そうか、私は「いつか理想の庭でも」の、その「いつか」岐路にいるのだと気づく。

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